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久留米で宮津航一さん講演 「最後まで味方」でいる家族の絆語る(前編)

 「こうのとりのゆりかごから始まる第二の人生」と題した宮津航一さんの講演が10月7日、耳納市民センター(久留米市善導寺町飯田)で開かれた。久留米市と久留米市人権啓発推進協議会が主催する「なるほど人権セミナー2026」の第4回。自身の生い立ちや家族との暮らし、子どもたちを支える活動を通じ、命と家族、地域の関わりについて語った。

講演する宮津さん

一般社団法人「子ども大学くまもと」理事長を務める宮津さんは22歳。2007(平成19)年5月10日、熊本市の慈恵病院が「こうのとりのゆりかご」の運用を始めた日に3歳で預けられ、同年、里親の宮津さん夫妻に迎えられた。高校2年時に夫妻と養子縁組をし、2022年の高校卒業を機に生い立ちを公表。今年3月に大学を卒業し、4月から「いのちの語りびと」として全国で講演している。昨年は学業と並行して年間70回の講演を行ったという。

 冒頭では、高校3年時の宮津さんに密着した熊本朝日放送のドキュメンタリー「告白~僕は『ゆりかご』に預けられた~」の一部を上映。ゆりかごの開設に取り組んだ産婦人科医・蓮田太二さんの「小さい いのちを救いたい」という思いを紹介した。子どもを預かる場所というイメージがある一方、まず相談を受け止め、それでも救いきれない命を守る最後の砦(とりで)としての役割があると説明した。

 育ての父・宮津美光さんと母・みどりさんには5人の実子がおり、宮津さんには両親と5人の兄ができた。美光さんは兄たちに、1日に3回は抱っこするよう伝え、家族で触れ合う時間を大切にしたという。

 宮津さんには、生まれてから3歳までの記録がなく、小学校で生い立ちを振り返る際には、兄の赤ちゃんの頃の写真を借りたことがあった。名前は当時の熊本市長に付けてもらい、当初は誕生日も推定の日付だった。その後、本当の誕生日や生みの母が亡くなっていたことなどが分かり、父と共に母の墓参りに出かけた。生い立ちが分かった時には、悲しさ以上に、自分のことが分かった喜びがあったと振り返った。

 小学4年時、足にハンディのある友人が別の子にランドセルを持たされる様子を見て父に相談し、その後、相手の子に一緒には帰らないと伝えたという。相手の保護者から抗議の電話があり、「航一君には親がいないから」と言われた時、母は「うちの子はそんな子じゃありません」と応じ泣いていた。自分を信じ、わが子として守ってくれた母の姿が心に残っていると話した。

 父が伝え続けてきた言葉として、「家族とは血がつながっているということではなくて、『最後まで味方』でいること。何があっても『最後まで味方』でいることが『家族』だ」と紹介。境遇や共に暮らす期間が異なっても、味方でいることを大切にしてきたと説明した。この考え方は家庭だけでなく地域にも当てはまるとし、子どもにとって最後まで味方でいる存在が社会に広がってほしいと語った。

 その経験を踏まえた活動の一つが、高校3年時に立ち上げた「ふるさと元気子ども食堂」。コロナ禍の影響で人と人とのつながりが薄れる中、福岡県で起きた子どもの餓死事件を知り、今できることを始めたいと考えたという。

 もう一つの活動として「子ども大学」を紹介した。慈恵病院の元看護部長で、ゆりかごの開設に携わった田尻由貴子さんらと共に「子ども大学くまもと」を設立。小学生が大学の教室などで各分野の専門家から学ぶ機会を設けている。

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